あの日から3年、首都圏の被災地はいま。。。 [ニュース]
2011年03月11日、僕はとある外資系の保険会社に入社し、研修の1ヶ月目でした。
研修場所は「横浜のみなとみらい地区」にある、三連ビルの一番低いビルの「16F」でしたが、僕はたまたま「大田区役所」に用事があって午後は外出をしていて、「大田区役所」から「横浜の本社オフィス」へ戻る「京浜東北線」の電車の中に居ました。
横浜駅手前の「東神奈川駅」に入る手前で電車が「急停車」し、生まれて初めて、社内で「日本語・英語・中国語・韓国語」の4つの言語でアナウンスがあった後、「余震」が立て続けに発生していたこともあり、2時間ほど社内に閉じ込められました。
その間、並走していた「京浜急行線」の「停車車両」を見ていたら、物凄く横揺れしていました。
社内では当初はみなさん落ち着いていたものの、段々「物々しい雰囲気」になり電話が繋がらない中、隣のおばさん達の中の一人が「ガラケーのワンセグ放送」でニュースを見ていたら、「被災地の物凄い光景」が映し出され、「とんでも無い事が発生している」のに気づきました。
僕は「iPhone」でしたので、「ワンセグ放送」は見られませんでしたが、「Skype」でやっと会社に電話が繋がったものの誰も出ないため、心配はありつつ、上司にメールで連絡を入れました。
そうこうしている内に夕方になり、アナウンスで「暗くなって帰宅が難しくなる前に、社内から出て下さい」との放送があり、生まれて初めて「電車の最後部」から、「小さい梯子」で電車を降りました。
そこからが大変でした。
東神奈川駅付近から大田区の自宅まで「約25Km」。
バッグにノートパソコンも入れていたので荷物も重い。。。
バスもタクシーも渋滞で動いていない事が分かり、仕方なく徒歩で帰宅することを決意。
夕暮れの中を、「国道1号線沿い」に「東京方面」に上がって行きましたが、「コンビニ」なども殆どのお店が「閉店」していて、食料補給やトイレにも行けない。。。
どうしたものかと思って諦めかけていたところで、「鶴見川」を渡る手前で「ロイヤルホスト」がオープンしてました!
それ程混んでいなくて、やっと「食事とトイレ休憩」が取れ「30分程」でしょうか、体を温めた後、直ぐに「帰宅を再開」しました。
帰宅を再開して直ぐの「鶴見橋」を渡っている最中に、「雪」が降り始めました。
まだ、半分程の場所です。。。
そこで「勇気付けられた」のが、「Twitter仲間」とのやりとりでした。
スニーカー等ではなく「革靴」でしたので、足の裏の皮が剥け始め、足の痛みを我慢しながら、とうとう「最後の難関」の「多摩川大橋」まで辿り着きました。
深夜で真っ暗な中、車の明かりと工事中の少しの案内の灯りを頼りに、「歩道」では無い「車道の左端」を強風の中歩くのは、車に当たるのでは無いかと非常に怖かった。
渡り終わった後は、バスで通ったことのある「見覚えのある景色」が目に入り少しホッとし、「後もう少し後もう少し」と自分に言い聞かせながら頑張り、「4時間以上」を掛けてやっと自宅へ帰りつきました。
帰って足の裏を見たら、白くブヨブヨして指は何本か皮が剥け、寒さも相まって「感覚が無く」なっていました。
その後、その日にどうやって過ごしたのか、今や記憶がありません。
被災地の方々は僕の状況より、何倍も大変な状況だったと思います。
行方不明の方々も、まだ2千人以上いらっしゃるとのこと。
それに、「福島第一原発事故」の影響は、先の見えない目に見えない敵との闘い。
一日一日ずつでもいいので、状況が改善するのを祈るばかりです。
合掌。
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